最近は普化(虚無僧)尺八に興味があります
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尾崎眞龍の生没年が明らかになったのは、昭和50年頃。富森虚山師(昭和50年没)が「中尾都山は尾崎眞龍に師事した」というのは、都山(昭和31年没)からの聞き書きなので、その時点では調べ様が無かったとも言える。では何故、都山が勝浦正山では無く、尾崎眞龍に師事したと証言したのか、に疑問が残る。勝浦正山は昭和17年に亡くなったが、都山は明暗寺由来の文献類をいくつか所有していた。勝浦正山師の遺族から買い上げたのか、紀州新宮市の尾崎眞龍師の遺族を尋ねて買い上げたのかは不明だが。それらは総て疎開させるべく準備し、いざ疎開するという前日に空襲に遭い灰燼に帰したのだが、それ以前に、中塚竹禅師が借り受けて筆写されている(詳しくは「琴古流尺八史観」を参照の事)。
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