最近は普化(虚無僧)尺八に興味があります
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古典尺八及び三曲に関する小論集、読了。500ページ弱の大部なので読むのに時間が掛かってしまったが、大変に参考になった。
さて、普化宗は明治4年、太政官布告に依って廃宗解散を命じられた。時の明暗寺看主34世・自笑昨非は名を明暗(アケクレ)覚作と改めて還俗、役僧(指南役)尾崎眞龍は故郷和歌山の新宮町に戻って生涯を終えた(明治21年没)。勝浦正山は岡山から上洛後、遥々和歌山の尾崎眞龍を尋ねて入門を許され、明治16年4月から明治20年11月まで師事して旧明暗寺所伝62曲を修得して皆伝を得た。明治21年に再度上洛して明暗教会に所属して京都支部長の地位に甘んじたが、虚無僧としての行化を欠かさなかったという。 かくして、中尾都山は尾崎眞龍ではなく勝浦正山に師事した事が明らかだろう。何故、富森虚山師が「中尾都山は尾崎眞龍に師事した」と書いたのか、甚だ理解に苦しむ。 PR |
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