最近は普化(虚無僧)尺八に興味があります
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古典尺八及び三曲に関する小論集、読了。500ページ弱の大部なので読むのに時間が掛かってしまったが、大変に参考になった。
さて、普化宗は明治4年、太政官布告に依って廃宗解散を命じられた。時の明暗寺看主34世・自笑昨非は名を明暗(アケクレ)覚作と改めて還俗、役僧(指南役)尾崎眞龍は故郷和歌山の新宮町に戻って生涯を終えた(明治21年没)。勝浦正山は岡山から上洛後、遥々和歌山の尾崎眞龍を尋ねて入門を許され、明治16年4月から明治20年11月まで師事して旧明暗寺所伝62曲を修得して皆伝を得た。明治21年に再度上洛して明暗教会に所属して京都支部長の地位に甘んじたが、虚無僧としての行化を欠かさなかったという。 かくして、中尾都山は尾崎眞龍ではなく勝浦正山に師事した事が明らかだろう。何故、富森虚山師が「中尾都山は尾崎眞龍に師事した」と書いたのか、甚だ理解に苦しむ。 PR
尺八の入ったSP盤は沢山あるが、古典本曲の独奏物となると、殆ど見付からない。久し振りに、とある所で1枚見付けたので慌てて押えた。割れずに無事に着くように祈っている。何故か本名で吹き込んでいるので、これがあの○○師だとは誰も気付かないだろう。
本日稽古日。例に依って「調子」から吹く。いつもと違って鳴りが良い。吹き終わって師匠の批評は「口を閉めすぎていて、外曲的な響きがします。もう少し口を緩めて明暗的な味を出さないと駄目です。」成る程、と納得が行った次第。自分でも吹いていて、違和感は感じていた。あの鳴り方に違和感を覚えるとは、少しは明暗尺八に近づいているのかも知れない。続いて「門開」。出来栄えは兎も角、鳴りは明暗的に戻ったようで一安心。但し細かい注意点をいくつも指摘された。一々ご尤もです。
更新してもしなくても、来訪者が毎日10人位いらっしゃるようで、何だかプレッシャーを感じていたりして…、閑話休題。
タイトルの「ハロー」は「こんにちは」ではなくて、二四五のハから甲音のロの事です(オヤジギャグかもw)。古典本曲に頻出する基本ですが、以前から疑問に感じていました。同じ地無し管でも、所謂「丸抜き」で、手孔の内側を削って、ある程度調律した尺八では何の問題も感じませんでしたが、師匠好みの節を残して「息返り」のある尺八で吹くと、何とも違和感がありました。つまり「甲ロ」の律(音程)が高いのです。「二四五のハ」は当然メリますが、「甲ロ」をメらないで戻して吹くと、一律とまでは言いませんが、高く感じていました。この疑問は、ちょっと前に入手した戸谷泥古氏の本で氷解しました。同門の先輩が吹いても、皆さん「甲ロ」が高いですが、唯一、師範代の先輩だけが正確です。 師匠は、尺八の事を「楽器」ではなく「法器」だと常々仰っています。という事は、海童道祖の系統かも知れません。とは言え、遺された海童道祖の音を聞いて、音程的に違和感を感じたことはありません。敢えて言えば、音律に関しては、西洋音楽の影響を受けておられたのでは? とも思える程です。 話が脱線しましたが、諸先輩の吹かれる「ハロー」に関して、師匠が律に関して何も仰らないのは、各人の技量に応じて、順次、駄目出しをされるお積りだと感じました。要は「息間(イキマ)」なのでしょう。小手先の技法ではなく、如何に息を吸って如何に出すか、この基本があって初めてその先がある、という事だと思います。常々、師匠は「音が出る出ないは問題ではない」というのが、その証左でしょう。
顎の痛みは相変わらずだが、毎日とは行かないが成るべく吹くように心掛けている。やっと70点位に回復して来た。成るべく顎に力が入らない様にしているが、まだまだ多少力んでいるようだ。
話は変わるが、乙音はカリ気味に、甲音はメリ気味に、というのが多少分かってきた。二四五のハから甲ロへ行く基本のハロが何か変に感じていたのだが、それが解消されつつある。 |
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