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最近は普化(虚無僧)尺八に興味があります
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 「都山流尺八 朝風/夜の懐い-島原帆山」Columbia CL-106 (10インチ盤)の裏解説に、<中尾都山師の俤>と題して「十九才で京都明暗教会に入り、その技優秀を認められ虚無僧の許可を受けた。」とある。署名が無いので執筆者不明なのが残念だが、明暗教会は樋口對山が「訳教」として教えていた筈で、都山は對山に師事したのだろうか、それとも勝浦正山に、であろうか。興味が尽きない。
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 「虚無僧旅日記」飯田任風遺稿、石綱清圃編集、昭和62年9月10日虚無僧研究会発行、入手読了。日記自体は昭和46年に書かれた物。その僅か2年後に飯田氏は逝去されている。私も昭和の、それも戦後の生まれなので、つい先頃のように思い勝ちだが、思い起こせば昭和46年とは、私が大学に入学した年なので、遥か昔ではある。石綱清圃氏の篤志に依って刊行されなければ、永遠に知り得ない原稿である。
 現在所有している尺八関連のSP盤は番号違いの同じ音源を含めて、50枚足らずですが、取り敢えずデジタル機器を導入しましたので、ぼちぼちとデジタル化しています。少しずつHPで公開して行きますので、詳しくはプロフィールのHPからアクセスしてみて下さい。掲示板も開設しました。

 「大正五年頃、(略、小路豊太郎が)東京滞在中、たまたま上京中の都山流尺八宗家中尾都山と面談し請われて「山谷」と「鈴慕」の曲を吹いたところ、ぜひ伝授願いたいと申し込まれたという。」(「-江差追分と尺八に生きた-鴎嶋軒小路豊太郎と周辺の人々」井上肇著、1995年3月24日発行、私家版。76頁)
 大正5年といえば、都山流が全国にその勢力を広めていた時期に当る。都山自身が明暗流の「山谷」「鈴慕」を修得していたか否かは知る由も無いが、北海道の小路豊太郎とは系統が異なるので、多大の興味を抱いたのだろう。当時、飛ぶ鳥を落とす勢いの都山の、飽くなき向学心が興味をそそる。


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